「英語で話すコツって何ですか?」
突然なのでビックリしました。セブンイレブンの若い店員が目の前に立っていました。
我家にやってきたオーストラリア人を自転車で見送りに行った時のことです。
彼らと一緒に入った千葉の片田舎のセブンイレブンで、お店のユニフォームを着た、好青年を絵に描いたような若い店員さんが、何の前触れもなく声を掛けてきたのです。
四捨五入で60歳の男が、190センチを超える外人と英語で会話しているところを見ていたのでしょう。
真面目そうな青年で、真摯にストレートに聞かれたので、一瞬考えてから
「コツは、コツコツ、地道に、です」
と答えました。
ダジャレでもなく自分の経験を思い出して伝えました。そして、
「頭の中で英文が作れるように訓練すること」
とどのつまり、英語は自分が言いたいことを言えるようになる、そういうことなんです。
英語との出会い、再び
私はベルギーの会社に移って英語を使う必要に迫られました。40歳の頃です(工事中)。
学生の頃は英語が大の苦手で、いつも落第点すれすれで辛うじて単位を取るというような体たらくでした。英語は大嫌い。将来自分が英語をしゃべるようになるなど、微塵も思いませんでした。
ベルギー赴任での社内の公用語は英語なのですが、日常会話は英語ではなくフラマン語。オランダ語に近い、フランダース地方特有の言語です。
英語で話しかければ英語で答えてくれますが、普段はフラマン語。英語も話せない自分にはハードルは高かった。エンジニアと言えども見ず知らず、それも、東洋人が珍しいフランダース地方の片田舎。誰も相手になどしてくれません。声も掛けてきません。
意外に思われるかもしれません。外国では黙って座っていると、一日中誰も声など掛けません。日本なら、同じ職場に誰かが配属されてくれば、誰かしらが声を掛け世話を始めます。米国、欧州企業に勤めた経験からすると、そういうことが起きることはまずありません。自分から声を掛けていかなければ、何も起きません。
そんな辛い日々が続く折、めずらしく同僚が社外の野外パーティに誘ってくれました。そのパーティで、会社とは全く関係の無い、地元のご夫婦に出会いました。
彼らは日本人高校生のホームステイのホストをしていたので、日本が大好き。
毎週末、私をあちこちに連れ出してくれて、私の反応を見ては喜び、さらにこれ見ろ、これ食えと。旦那さんは電話もかけずに友人宅に押しかけていく、それも昼夜関係ありません。そこにノコノコついていく40過ぎのオヤジ。ベルギー人は、いったん彼らの内側に入り込めれば、どんどん親しくなれます。お陰でベルギーの奥の奥まで知ることが出来ました。
そんな彼らとの会話は英語です。フラマン人は英語が得意、それで助かりました。
どうしても彼らと意思疎通したい、仲良くなりたい、もっとベルギーを知りたい、・・・。そんな内なる欲求が体を突き動かし続けました。
(赴任した最初のブログ:ベルギー通信「はじめに」注:工事中)
日記を英語で書く
コツの第一番、最初に始めたのは、英語で日記を書くことでした。手に収まる小さなメモ帳で始めました。
その日起こったこと、会社を終えてから起こったこと、出会ったこと、そして週末の出来事、等々。最初は拙い文章を3行ぐらい。それがやっとです。書くのにも時間がかかります。
常にモバイル辞書を持ち歩き、知らない単語は直ぐに調べます。
だんだんと書くことが増えていって、メモ帳では手狭になってきました。
そこで、スーパーに行って丈夫な表紙の付いた小さめのリングノートを買って、それを日記として常に持ち歩くようにしました。いまのスマホ同様、それはもう常にです。丈夫なノートなので、18年経った今でも健在です。この丈夫さが良かった。
書きながら気付いたこと、単語や常套句、どんどん書き込んでいく。
自分の書いた文章が後から間違っていることにも気付きます。そうしたら線を引いて、空欄に正しい文章を書いておく。
それを毎日続ける。ただそれだけでした。
そのうち3行だった日記は、行数が増えてゆき、気が付けば1日分が1ページになりました。ここまでくればしめたもの。同僚と英語で話すネタはこのノートにびっしりと書き込まれています。自分で書いたものだから数日間なら覚えています。
日記は手書きで
手で書いて覚える、これがコツの第二番。
自分で書いたものは指と頭が覚えています。翌日、会社で自分が書いた日記を思い出しながら、周囲の同僚に英語で話しかけます。喋る前に頭の中で文章を組み立てます。準備が出来たら話し始めます。日記を手にして、カンペ宜しく補助に使います。
話す内容なんて他愛のないもの。でも、自分で書いた文章なので、難なく口から出てきます。話す内容はベルギーに関することですし、遠いアジアの端っこからやってきた珍しい東洋人の日常生活にもちょっと興味を持ってくれたのでしょう、食いつきがありました。
そうやって、毎日、少しずつ、少しずつ、そしてコツコツと毎日英語を使うようにしてゆきました。
社内のメモは全て英語で書くようにしました。仕事用のノートも全て英語です。分からない言葉は欄外に抜き出して日本語を添えておきます。
そうやって英語になれてゆき、英語で考えるように自分を仕向けます。
日記も常に持ち歩き、モバイル辞書で分からない単語は直ぐに調べます。そして日記にもメモする、手を動かす。
こうやって英語に慣れてくると、だんだんと英語で物事を考えるようになります。
(ベルギーのオフィスから:だいぶ英語が喋れるようになった当時のブログ)
文法も大切
よく英語を習う人は「文法なんて最初は気にしないで」と言われるでしょう。その通りです。しかし、ある程度、頭の中で自分の言いたいことが組み立てられるようになってきたら、幼稚な英語、ベイビーイングリッシュから卒業したくなります。
私は少しずつ、言い回し方を増やしていきましたが、図らずも、それが文法の勉強になりました。
私の場合は、とにかく意思疎通したい、相手と会話で理解し合いたいというのが第一です。となれば、間違った言い方では失礼だし、理解もしてもらえないと、段々思うようになりました。
S+V+O+C などといった英語の構文を私は知りません。
とにかくしゃべって、使って、言い回しに慣れてゆきます。
その言い回し集、つまり英文法を日記の裏のページから順に書いていく。
こういう時にはどう言えばいいんだろう。
これは、相手の言い回しも参考になります。相手が言うように自分も使ってみる。
あー、通じた。
この繰り返しです。それを日記の裏のページから書き足していく。
使ったものから、使えるものから書き足していく。
どんどんページは増えていって、気が付けば自分用の英文法集が出来上がりました。
英語脳を養う
とにかく40歳を過ぎたオッサンが英語を覚えていくのですから、単語など10覚えれば、次の日に7つは忘れています。これはもう悲しくなる程。
ならばもう、入れ続けるしかない。10入れて3つ残るなら、その3を毎日増やそう。そう考えてやっていました。
反復練習は予習と復習のようなもので、自分で考え、自分で話、自分で手直しする、その繰り返しを生で、実地でやる。
相手はフラマン語が日常会話ですから、こちらから英語で話しかけないと、英語では返してくれません。だから意を決して話しかける。
週末にはベルギー人家庭での「生活」が待ってます。フルに1日、英語での会話に没頭します。
そうやって英語漬けの毎日を1か月もやると、拙い英語で頭の中で独り言をしている自分に気付きます。
いわゆる英語脳を養う。それです。
そんなこととは気付かずにやっていましたが、いま思うと、反復学習が功を奏したように思います。
赴任先がフランダース地方で良かった。ベルギーは言語圏で大きく二分され、フランス語圏のワロニー地方はフランス語しか話しません。それに対してフランダース地方は英語、ドイツ語も話します。
彼らも英語が母国語でないのも良かった。母国語じゃないから話すスピードが押さえられる、アメリカ人のように機関銃のように話さない、だからついていける。その代わり、彼らもフラマン語を英語で翻訳しながら話すので、フラマン語特有の言い方が英語にも反映されます。それは時としてネイティブには???のものも。
ゆえに、私の英語は英国イングリッシュでもなく、アメリカンイングリッシュでもなく、ベルギーイングリッシュなのです。
・がんばらない
・会話を楽しむ
・知らないことは素直に聞く
・オウム返しで理解を深める
オウム返しは使えます。相手も話しているトピックスに集中してきます。分からない単語や知らないことは、このオウム返しで聞くと効果的です。
相手と繋がる熱意、反復練習、そして日本語が大切
英語はとにもかくにも、会話している相手を知る、自分を知ってもらう、相手と通じ合いたいという熱意です。言葉を交わさずとも、目と目の会話で3割は補えます。
そして始めの頃に必要無いことは、発音や文法。それはここまで述べてきたように、後からついてきます。
日本人はカタチにこだわって会話できない。
気にする必要はありません。間違うのは当たり前。学ぶと言うことは間違うと言うことです。
よく言われるRとLの発音だって、コツを掴めば大丈夫。難しいVだって、ちょちょいのちょい。
千本ノック、「コツ、コツ、地道に、です」
最後にひとつ
英語は単なる道具です。自転車に乗れるようになればそれは当たり前。
一番大切なのは日本語と、思考能力です。知り合いならともかく、中身のない会話に、相手は興味を示しませんし、我慢して付き合ってもくれません。頭が空な人は、英語だろうが日本語だろうが、言葉が相手に響きません。
もう一度言います。英語は単なる道具です。
大切なのは、ご自身の教養と相手を知ろうとする熱意です。
ではでは@三河屋幾朗
参考:
三河屋ってどんな人? About me
世界の街を自転車で走る・米国編 サンフランシスコ <世界見聞録>
ツール・ド・フランス最終日・パリのゴールを堪能する <世界見聞録>
ツール追っ掛け、二つ目はベルン <世界見聞録>
そしてツールドフランスが始まった <世界見聞録>
モンサンミッシェル、ここに来たかった <世界見聞録>
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