2018.5.23 加筆:やりたいことのために命を使う
やんちゃな人生は、ヒトから見れば無謀だけど、無謀上等。
死ぬ瞬間まで、あなたは人生を楽しんだと思う。それでいい。
世間がどう言おうが、自分の人生は、自分のもの。
栗城さんの公式フェイスブックより
ハフィントンポストにもポストされた。
「エベレストで死亡、栗城史多さん 彼の挑戦は「無謀」だったのか? 」https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/21/kuriki-nanseiheki-tandoku-musanso_a_23439869/
専門家もその立場上、コメントせねばならないが、心のどこかに彼の生き方が羨ましいと思う気持ちがあるはずです。
死は人を分かつが、死んだ人はその年齢のまま心に遺る。
登山家じゃなくて、冒険家。
それも人生の冒険家。
栗城史多さん、死んだのは残念だけど、あなたを尊敬します。
タイムラインでの1つの反応
Facebookの私のタイムラインに、このポストを投稿しました。
友人がコメントをくれました。万人を代表していました。
「待つ側だとしたらやっぱり死んでほしくはないです」
私の答えは、こうです。
- その通りですね。
でも人の意志はだれも止められない、そう思います。
彼の生き方は死の匂いが常にあった。
死を意識しているから、精一杯、生に前向きになれる。
彼の死を失敗と見る人が多いでしょう。
残された人の辛さ無念さもあるでしょう。それを彼は常に意識していたはずです。
そうい生き方、それが栗城史多の人生表現だと、私は思います。
死は人を分かつけれど、もう手で触ることはできないけれど、魂は永遠に繋がっている。
2か月前に父を亡くした私は、そう思います。
参考:『老人の取扱説明書』を読む
残された人の事を思って旅する
自分はどうだろう。胸に手を当てます。
2016年、世界一周の旅の最中に、私の隣に死はあったかもしれない。テロが横行するこの地球で、その場に立とうとするのは、日本にいるより安全でないかもしれません。旅先で強盗にも会いました。妻の心中は穏やかならざるものがあったに違いない。
私は家に抜けた歯をケースに入れて保存しています。それは万が一身元不明になって、本人確認が必要になった時、DNA鑑定が出来るようにです。
程なく58歳になろうといういい歳した大人が、やれ世界一周だ、ユーラシア大陸横断だ、日本の津々浦々だの。なんともまあ好き勝手なこと。奥さんのことをどう思ってるのかしら。そう聞こえてきます。
女房は、私のやんちゃを、何も言わずに送り出してくれます。帰って来ても、さばさばです。
一人でやること、自分の責任は自分で取る覚悟で出かけること。それを止めることはできません。50歳で仕事も辞めて、勝手に主夫宣言して、やりたい放題。それを理解していてくれる人が隣にいることを、幸せに感じます。
参考:シュフばんざい
やりたいことのために命を使う
人間は生まれたら死ぬ生き物です。
時間軸を100年単位で見れば死亡率100%。これは否めない事実です。
その与えられた「時間」という「資産」をどう使うか。それが人生であり「命」でしょう。
彼はその資産を存分に使った、そう私は思います。
これを私なりに纏めてみると、
- 肉体は魂の乗り物
- その乗り物には寿命がある
- その寿命(時間)を使って「今」の瞬間を楽しむのが人生
- 未来だって「今という瞬間」が考えていること
さらに、輪廻転生という考え方があります。
これはどの宗教にもあり、それによれば、魂は現世に降りてきて修行、つまり修練を積んで磨かれ、より高い魂になって次の「命」、つまり「時間」を生きる。そういう捉えです。
要約すると、こうです。
- 魂は新しい肉体で蘇り、次の人生を生きる
- 輪廻は魂の進化の場
- 人生は魂の修行の場であり「この世」は魂の修練の場
- 修練により魂は磨かれ、輪廻で魂はより高いレベルに上がっていく
- ここでは魂は命と同義語
- ひとつの人生は魂の修練の一単位
- ひと命=ひと人生(1命=1人生)
私は、人生や命、人の死というものは何か、という答えの無い難しい命題に自分なりの答えを出したいと、ずっと思っていました。
私はこの輪廻転生という考えに触れた時に、物事がすんなりと腑に落ちました。
ああ、人生とは、やりたいことを見つけて、そのために命という時間を使うことなのだな、と。
だから、その時間の使い方が問われます。
ただ何も考えずに日々を過ごすこともできるし、ひとつの事に向かって一心不乱に時間(ここでは命と同義語)を使うことも出来る。
その選択は、ひとりひとりに委ねられており、その捉え方も人様々で良い、そう思うのです。
やって後悔するか、やらずに後悔するか
ヒトが死ぬ間際に後悔すること。
それは、やって失敗して後悔ことではなく、やらずにそこまで来てしまった、やってみればよかったのにと後悔すること。そう、死に立ち会った人たちが語っています。
どちらを選ぶかは各々の選択です。
私は、やって後悔する方を選びます。
そういう意味合いで、栗城史多さんの生き方にエールを送ります。
ここでの学びは、「人生の愉しみ方:死生観は生を見つけること」へ続きます。
黙祷@三河屋幾朗
参照:
栗城史多オフィシャルサイト
http://www.kurikiyama.jp/
追伸:
人は自分ではわからない使命で生きていると思います。
自分の命、生きることは何かという人生の命題ともいえること、それが使命。
栗城さんの人生は、彼が考える彼の使命を具現化したものでしょう。
不可能を可能にしようと、努力すること、変化すること、自分に挑戦すること。
失敗しても諦めずに挑戦し続けることによって、偶然の出会いが折り重なって、思わぬ可能性を引き出してくれます。それが彼の原動力だったのでしょう。
そういう意味で、偶然は必然です。
死は必然ではないけれど、いずれ誰に身にもやって来ること。
「全ての物事は繋がっていて、必然性がある」
それを強く感じた映画がありました。
ライフルを構えるテロリストに真正面から突き進む、主人公。
フランス政府から最高の名誉勲章を贈呈された主人公が自ら演じたリアリティ過ぎる映画です。
人がものを念う(おもう)、熱望するということ、その一例を魅せてくれます。
『15時17分、パリ行き』を観て、思った
https://mikawaya1960.blogspot.jp/2018/04/1517.html
2019年 ユーラシア大陸横断「東の端から西の端まで」
やらずに後悔するなら、
やって後悔すると決めた私は、
58歳の春、再び旅に出ます。
参考
三河屋幾朗ってどんなヒト?ダブルインカムからシングルインカムへ
ダブルインカムからシングルインカムへ その2
快感:社会の鎧を脱ぐ
シュフばんざい: House-husband
3時ラー なるもの
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褒めるときは褒める JALへ
叱る時は叱る 国交省に電話する
デモに参加するということ
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