老活 または 終活の極みがコレ:安楽死と死ぬ自由を考える

老活、終活の極みがコレ、安楽死です。

ヨーロッパの一部の国は、自ら命を絶つ選択が出来ます。

この104歳のオーストリアの科学者は、何を考えて日々暮らしていたのだろう。

2018年 5月10日に、彼はこの世からいなくなります。


まずは、心してこのニュースをお読みください。

「104歳 オーストリアの科学者、自ら命絶つためスイスへ出発 」
 http://www.afpbb.com/articles/-/3173400?pid=20085308


出典:AFP BB NEWS


AFPの原文を引用します。

---------【5月3日 AFP】---------

 グドール氏は不治の病を抱えているわけではないものの、生命の質が低下し、スイスのバーゼル(Basel)にある自殺ほう助機関「ライフサークル(Life Circle)」で優先予約が認められたという。
 安楽死支持者らがAFPに明かしたところによると、グドール氏は同日遅く、最後のお別れを言う友人や家族らに見守られて、パース(Perth)で飛行機に乗り込んだという。
 同氏はフランスのボルドー(Bordeaux)で他の親族らと数日間共に過ごした後、スイスに向かう。同氏がスイスで自ら命を絶つのは今月10日の予定。
 グドール氏は出発に先立ち、豪ABCに対し「スイスは良い国だが、行きたくはない。しかし、オーストラリアの制度では認められていない自殺の機会を得るためには行かざるを得ない。強い憤りを感じる」と話していた。
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私が「コレ」の選択を思う年齢になれば、もっと多くの国が採用しているでしょう。

「太く長く」を希望する私としては、まだまだ先であってほしいと思います。
しかし、この時がいつ来るかは神のみぞ知るです。



死ぬ自由、私は肯定します


ニュースの別の写真、彼の隣に支援者が写っています。

どんな会話を重ねたのだろう。その経緯を知りたいと、素に思いました。


東日本大震災で人が亡くなった現場を、ボランティアとして踏みました。

 参照:東日本大震災:被災地に寄り添って

ボランティアは被災地に寄り添う、被災者に寄り添う、出来ることはそれだけだけですが、被災した方々には、それが心の拠り所になることを肌で知りました。ボランティアが来てくれる、私たちは忘れられていない、話を聴いてくれる人がいる。

被災現場の住民は規模の大小に関わらず何らかの心の傷を負っています。それを、同じ被災地の住民同士で慰め合うのは難しい。しかし、外からの人はそれが出来ます、そして外から来た何の利害関係も無い人だから口を開くことが出来ます。

人間の心は、人間でしか癒せない。猫や犬も癒してくれても、最後は人間の温もりの中で、時間と寄り添いが心を癒してくれる、そういう風に私は思います。

人が突然亡くなることの喪失感は、筆舌に尽くしがたいでしょう。


この104歳のオーストリア人は、もう人生を十分に全うしたと達観しているようにみえます。

この記事にある自殺ほう助機関「ライフサークル」の担当の女性がニュース記事に載っていますが、この方もきっとグードル氏と沢山の会話を重ねたはずです。そのうえで到達した結論なら、だれも止めることは出来ないでしょう。


しかし、周囲の人はそう思わないかもしれない。特に肉親や親類、そして親しい友人は涙をぬぐいつつ微笑んで送り出してあげただろうか。

この短いニュースを読んで、様々なことが胸に去来しました。

私ならどうするだろう。いまの、2018年春の答えはこれです。

私はこれを肯定します。

自分についての権利は、意識がしっかりしているうちは自分で決める。

これが現時点での私の結論です。


生きるには国もコストが掛かる


なんせ、これによるお国のコスト削減には抜群です。これは紛れもない事実。

生産しない人間、お金を生まない人間を生かすのに、国もコストを掛けているのです。

間違わないでください。死ねと言っているのではありません。間違わないでください。

繰り返し言います、間違わないでください。


このニュースを聞いて、一番に思い出したこと。それは映画でした。

ソイレントグリーンという映画です。 Wikipedia:ソイレントグリーン(1973)


あらすじを簡単に記してみます。

物語は2022年です。人口爆発で資源枯渇した地球。格差が拡大した、暗鬱な未来社会が舞台です。人類はソイレント社が、海のプランクトンを原料に生産する合成食料のソイレントグリーンで細々と生き延びていました。

ある夜、そのソイレント社の幹部が殺害されます。チャールトン・ヘストン演じるニューヨークの刑事が捜査にあたりますが、様々な妨害を受けて、どさくさに紛れて殺されそうになります。同居人の老人が「ホーム」に行ったことを知った刑事は、慌ててホーム=公営安楽死施設に向かいます。

そして彼は、真実を知ってしまったが故に死を選ぶしかなかった老人の最期を見届けることになります。老人と同じ部屋で目の前の大画面で紡ぎ出される美しい大自然の映像。ベートーベンの交響曲第6番「田園」が大きく映画館に響き、老人は最後の時を迎えます。

老人との約束で、死体がどうなるかを追跡した刑事が、ベルトコンベアーの先で見たものは、ソイレントグリーンが人間の死体から生産されているという事実でした。

その後、暗殺者に襲われた彼は、重傷を負って病院に搬送されます。彼は叫びます「ソイレントグリーンの原料は人間だ!」と。



この映画を見たのは若い頃、たぶん20代前半だったと思います。チャールトン・ヘストンが好きなので、さほど気にせず映画が始まって、こりゃヤバイと思いました。

こんな未来が来るかもしれない。

公害問題が深刻化して光化学スモッグ警報が連日続いた時代ですから、緊迫感は今よりもありました。

食糧生産のために人間を飼うという未来社会を描いた映画、ソイレントグリーン。それは少し前にヒットした「進撃の巨人」の世界にも通じます。人間を捕食する巨人と、人類との戦いを描いたアニメです。

 参考:Wikipedia「進撃の巨人」


老人を食い物にする時代が来ないことを、切に願います。




生きる自由があるのだから、死ぬ自由もあるはず



人間には生きる自由があるのだから、死ぬ自由もあると思います。

重要なのは、選べるということ、そう私は思います。


死ぬ日が決まれば、そこまでの時間を目一杯楽しめます。

周囲の人も死にゆく人と覚悟して付き合うので、充実した時間が約束されるでしょう。


人が死んでも、その人とは心の中でいつでも会うことが出来ます。

悲しむよりも、いつも寄り添っていてくれると思うことが、一番の手向けになると私は思います。



死にゆく人をヒューマンに描いた映画。全世界に感動を呼びました。

それがこれです。

最高の人生の見つけ方 (2007) Wikipediaのページ

出演はジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンですからハズレの無い映画です。

そして、もうひとつ。


最強のふたり (2011) Wikipediaのページ


こちらは実話を基に作られました。欧州が舞台なので、私には妙に親近感があります。


人の死を考えて深刻になった後にこの2本を観ると、爽快感と共に、生きるって素晴らしい、そう実感できると思います。


生産しない人間、お金を生まない人間だって、生きてたっていいじゃないか。
そんなのオレの勝手だ。自由な国、日本に生きている幸せを感じます。



ではでは@三河屋幾朗


参考



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コメント

  1. 私も「死ぬ権利」を肯定します。 但し、無闇にただしにたいから…は絶対に反対です。
    私が今一番望んでいるのは生きている限り精一杯生きた、充実した人生を生きた後に自分の人間としての尊厳が保てなくなった時に限ってです。
    自分自身が老化してきている今、一番望んでいるのがこの死ぬ権利です。 自分の意思のまま生きることが出来なくなった時に自分のプライドを損なってしまってまで絶対に生き延びたくありまません。

    これはそもそも人間とは、生きるとは、生きているということはどういうことかといいの問題だだと思います。

    難しい問題ですが人生とは長さの問題ではなく生き方の方が絶対に大事だと信じています。
    その日が来るまで悔いなく日々を生きています。

    私もこのオーストリア人の科学者のことをネットで読んだ時に100%理解出来ました。 そして応援していました。 いよいよ明日なのですね。 複雑な気持ちになっています。

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  2. 赤貧素浪人へそ曲がり之介さんへ
    ちょっと誤字脱字が多くて、真意が読み取れません。
    もう一度書き直して頂けませんか?

    返信削除
  3. 文章をお書きになる時は、句読点を打つ、ひらがなを多用しない、論旨をまとめる、この3つに気を付けると良いと思います。

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  4. 大変失礼しました。

    そうそう、こういうことも老化の一つです。 こういう失態ももう少し若い頃ならしでかさなかったことの一つです。 いつも後で気づいて自分が許せない程の後悔をします…

    でもこの程度の老化ならまだ付き合いながら生きていけます、死ぬほどのことではありませんがこのままいくとそのうちにきっともう本来の自分尊厳を失ったと思った時には死を選ぶ自由・権利が欲しいと思っています。 権利も自由もなくても死を選ぶと決めています。

    読み返してはみているのですが再び乱文・誤字がきっとある事でしょう‥

    Apologies in advance.

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  5. 私は、死は終わりだとは思っていません。どの宗教にも輪廻転生の概念が伺えます。魂が表に出てくる、つまり「この世」にある時が人間界の「人生」で、この世の修行の後に同じ魂は次の「人生」を送る、そういう風に捉えています。なので、安楽死という選択肢が出来たからといって驚く必要も無く、例えていえば、富士山の頂上に上るルートがもう一本増えた、それくらいの事だと思っています。余談ですが、私はベルギーに居る時に既視感を強く感じました。きっと魂が前に過ごした時のことを懐かしく思っているのだな理解しています。そういえば、純粋日本人なのに、頭の中が欧州人なのはそういうことかと、妙に感心したりします。

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