50歳で会社員という商売はひとまずやめにして、気ままに暮らす自由を得て、はや4年目です。
企業に勤める社会人としての鎧を脱ぎました。様々な条件が重なって、それが許される環境が訪れたのですが、鎧は思ったよりも重いものでした。脱ぐのは簡単なことではありません。
葛藤がありました。
心と体のバランスが取れなくなって最悪の日々が続いたこともありました
(参照:そして2年経った)。
でも今は大丈夫。良い経験をしたと思っています。
自分は自分、他人の判断基準ではなくて自分の判断基準で生きると決めました。
すると、さまざまな変化が訪れました。
心穏やかになった
人が何を言おうが気にならなくなった
自分の可能性の大きさを感じられるようになった
社会と地域に関心を持つようになった
日本はソーシャルサプレス(社会的抑制力)が強い社会です。
人と違うとマズイという意識がはたらくように子供の頃からプログラムされています。他人と違うことは良くない。職場で周囲の人が帰らないから帰らない。トイレに一緒に行く。協調性を乱すものは良くないもの捉えられる。日本人の大好きなパックツアーをご存知なら、集合に数分遅れても白眼視
されるのを見たことがあるでしょう。
このソーシャルサプレスは、社会の安全性、道徳面、一致団結して物事に当たるなど、良い面も多々あると思いますが、私には合わない。海外で生活してみてその意を強くしました。
まず、誰とでもオープンマインドで接することができるようになりました。
海外では私にとってそれは容易なのですが、日本に帰ってくるとそうではない。それが海外で暮らすのと同じように、日本人に対してもオープンマインドで接しられるようになりました。
どんな人とも、もはや利害関係が生じないので、身構えたり、心の準備をしたりする必要がないのです。
学校を卒業して、会社に入って、結婚して、子供が出来て、役職が上がって・・・
この人生の過程が進むにつれて、人には目に見えない社会のしがらみというものが体に纏い付いてきます。それは世間であり、職場という縛りであり、家族の中での責任であり、時として自分を律してくれるものでもあります。
プライドや見栄、誇張。それらは鎧となって心と体を守ってくれます。だれもが自分を大きき見せよう、良く見せようと、多少の「脚色」をしたり、虚勢を張ったりします。声高に自分の考えを主張して相手に押し付けたり、理論で圧倒したり。もちろん私もそのひとりですが、いまの生活を始めてそれが変わってきました。
鎧のウロコが1枚ずつ剥がれるように、どんどん軽くなっていったのです。
端的なのは初対面の人と会う時です。以前は警戒したり、自分をよく見せようとしたり、「構えて」いました。それがいつの間にか消えてしまった。先入観を持たずに人と接することができるようになったので、笑顔が自然と出る自分に驚きました。
何を言われようが、もう気にする必要がないで、常に心をニュートラルに保つことが出来ます。「私」を否定する意見を「あなた」から言われても、そういう意見もありますね、と言えます。
以前なら反論するための論陣を張って、完璧に論破するのが常でした。逆に「あなた」の考え方は間違っていると「私」は思うが、それはそれで良し。
様々な考え方があるのは当たり前。多様性があるほうがいい。そう考えるようになりました。モノ言えない方がよほど危険だと今は思います。
欲が無くなったわけでは決してなく、その逆、やりたいことだらけです。
それともうひとつ、昨年、アジアを回って、沢山の気付きがありました
日本という国の素晴らしさに、改めて気が付いたのです。
自分を取り巻く社会、つまり日本という国に、いかに守られていたかに気付きました。
いままでも日本の素晴らしさは、エンジニアとしては気付いていましたが、視点は欧米からです。今回はアジアの国々からです。安全性、信頼性、生活水準など、アジアの国々が目指す先、見上げる先が日本なのだと感じたからです。
例えば身近なものでは水です。
蛇口から出る水が飲める、数多ある世界の国々で15ケ国しかありません(国土交通省調べ)。世界基準では限られた国だけが飲めるのです。(15ケ国以外でも住んでいる国の人は飲んでいるかもしれませんが、日本人の高い基準では「飲めません」)
50歳を過ぎて、この歳で気付くなんて遅いじゃないかと思いましたが、気付かないよりマシです。
これまで守ってくれた日本の社会に恩返しする番がやってきてくれたんだな、そんな気がして被災地ボランティアを始めました。東日本大震災です。生まれてこの方、ボランティアなんてやったことはありませんし、やろうと思ったこともありません。心の片隅にもない、そんな人間でした。
震災の年の5月に被災地に入り、惨状を目の前にして、無我夢中で体を動かしました。そうやってボランティアを始めると、もう鎧のウロコはぼろぼろ剥がれ落ちていきました。素の自分で被災された方と接する。先入観も見栄もなく、共同作業に汗を流す。気がつけば心は素っ裸です。
なんて軽いんだ。
私を枠に押し込めようとするチカラを全く感じなくなりました。
快感です。
そして感謝。今の私を生かしてくれる全てのものに感謝。これに尽きます。
追記:2015.10.25
親鸞の言葉:「見栄という鎧を脱いでみよ。心の軽ろきに、その重きことを知る」
企業に勤める社会人としての鎧を脱ぎました。様々な条件が重なって、それが許される環境が訪れたのですが、鎧は思ったよりも重いものでした。脱ぐのは簡単なことではありません。
葛藤がありました。
心と体のバランスが取れなくなって最悪の日々が続いたこともありました
(参照:そして2年経った)。
でも今は大丈夫。良い経験をしたと思っています。
自分は自分、他人の判断基準ではなくて自分の判断基準で生きると決めました。
すると、さまざまな変化が訪れました。
日本はソーシャルサプレス(社会的抑制力)が強い社会です。
人と違うとマズイという意識がはたらくように子供の頃からプログラムされています。他人と違うことは良くない。職場で周囲の人が帰らないから帰らない。トイレに一緒に行く。協調性を乱すものは良くないもの捉えられる。日本人の大好きなパックツアーをご存知なら、集合に数分遅れても白眼視
されるのを見たことがあるでしょう。
このソーシャルサプレスは、社会の安全性、道徳面、一致団結して物事に当たるなど、良い面も多々あると思いますが、私には合わない。海外で生活してみてその意を強くしました。
社会の鎧を脱ぐとどうなるか
まず、誰とでもオープンマインドで接することができるようになりました。
海外では私にとってそれは容易なのですが、日本に帰ってくるとそうではない。それが海外で暮らすのと同じように、日本人に対してもオープンマインドで接しられるようになりました。
どんな人とも、もはや利害関係が生じないので、身構えたり、心の準備をしたりする必要がないのです。
学校を卒業して、会社に入って、結婚して、子供が出来て、役職が上がって・・・
この人生の過程が進むにつれて、人には目に見えない社会のしがらみというものが体に纏い付いてきます。それは世間であり、職場という縛りであり、家族の中での責任であり、時として自分を律してくれるものでもあります。
プライドや見栄、誇張。それらは鎧となって心と体を守ってくれます。だれもが自分を大きき見せよう、良く見せようと、多少の「脚色」をしたり、虚勢を張ったりします。声高に自分の考えを主張して相手に押し付けたり、理論で圧倒したり。もちろん私もそのひとりですが、いまの生活を始めてそれが変わってきました。
鎧のウロコが1枚ずつ剥がれるように、どんどん軽くなっていったのです。
端的なのは初対面の人と会う時です。以前は警戒したり、自分をよく見せようとしたり、「構えて」いました。それがいつの間にか消えてしまった。先入観を持たずに人と接することができるようになったので、笑顔が自然と出る自分に驚きました。
何を言われようが、もう気にする必要がないで、常に心をニュートラルに保つことが出来ます。「私」を否定する意見を「あなた」から言われても、そういう意見もありますね、と言えます。
以前なら反論するための論陣を張って、完璧に論破するのが常でした。逆に「あなた」の考え方は間違っていると「私」は思うが、それはそれで良し。
様々な考え方があるのは当たり前。多様性があるほうがいい。そう考えるようになりました。モノ言えない方がよほど危険だと今は思います。
欲が無くなったわけでは決してなく、その逆、やりたいことだらけです。
それともうひとつ、昨年、アジアを回って、沢山の気付きがありました
日本という国の素晴らしさに、改めて気が付いたのです。
自分を取り巻く社会、つまり日本という国に、いかに守られていたかに気付きました。
いままでも日本の素晴らしさは、エンジニアとしては気付いていましたが、視点は欧米からです。今回はアジアの国々からです。安全性、信頼性、生活水準など、アジアの国々が目指す先、見上げる先が日本なのだと感じたからです。
例えば身近なものでは水です。
蛇口から出る水が飲める、数多ある世界の国々で15ケ国しかありません(国土交通省調べ)。世界基準では限られた国だけが飲めるのです。(15ケ国以外でも住んでいる国の人は飲んでいるかもしれませんが、日本人の高い基準では「飲めません」)
Tripadviserより(国土交通省調べ) |
これまで守ってくれた日本の社会に恩返しする番がやってきてくれたんだな、そんな気がして被災地ボランティアを始めました。東日本大震災です。生まれてこの方、ボランティアなんてやったことはありませんし、やろうと思ったこともありません。心の片隅にもない、そんな人間でした。
震災の年の5月に被災地に入り、惨状を目の前にして、無我夢中で体を動かしました。そうやってボランティアを始めると、もう鎧のウロコはぼろぼろ剥がれ落ちていきました。素の自分で被災された方と接する。先入観も見栄もなく、共同作業に汗を流す。気がつけば心は素っ裸です。
なんて軽いんだ。
私を枠に押し込めようとするチカラを全く感じなくなりました。
快感です。
そして感謝。今の私を生かしてくれる全てのものに感謝。これに尽きます。
追記:2015.10.25
親鸞の言葉:「見栄という鎧を脱いでみよ。心の軽ろきに、その重きことを知る」
ではでは@三河屋
「気付かないよりマシです」
返信削除これは素晴らしいポジテヴェ思考です。
だから苦しみながらも前に向かって人生のチャレンジがお出来になるのでしょう。
でもね、本当に残念無念、哀しいですが、日本の生命線である豊かで、美味しくて、安全な水が危険になってしまいました。
水道水の基準値は「10ベクレル」です。
相当汚染が進んでいます。
下記は東京都内の水道水:浄水後の土の検査。水源は完全に汚染されてます。
https://twitter.com/TOHRU_HIRANO/status/454249466300612609/photo/1
首都圏の河川の水です。
すさまじい汚染です。
https://twitter.com/kurieight/status/454077910882598912/photo/1
あんみつ姫さん>
返信削除濾過後の土に含まれる数値で、金町浄水場が最大値315となっていますね。
実際に水道水での数値は基準値内で、4月の金町浄水場でも1.0を超えていません。
http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/1jyousui_1404.pdf
これを見ると水道水としては基準値内に収まっていますが、ホントか?という疑問が常に付きまといます。
涙が溢れてとまりません。
返信削除私は神さまから素敵な方との出逢いをプレゼントしていただきました。
人生、良い時も悪い時もあります。
削除悪い時はじっとして力をためておく。
そして良い時のサイクルになったら思いっきり弾ける。
コレです。