57歳の自分の半生を振り返って、心から思うのは妻への感謝です。
日・米・欧と企業を渡り歩き、好きなことだけやって、好きなように生きて、
50歳で社会人は辞めて、人よりも随分早くリタイアして第二の人生をスタートして。
人はそれを自由と呼びます。
その環境を与えてくれたパートナーが居るからできることです。
妻はフルタイムの保育士で、家計を二分してきました。
彼女がいるからとんでもない冒険の数々を、仕事でも、プライベートでも楽しむことが出来ました。
それを改めて気付かせてくれたのはLINEの前社長、森川亮氏の「シンプルに考える」でした。
森川氏は著書で述べています。
ここで言う「守りの意識」が全くなかったのが私。
家計のバックアップがある安心、自分が路頭に迷っても、家族は路頭に迷わない、そんなセルフセーフティネットが私には有り、それがチャレンジへの支えになっていたことは紛れもない事実です。
妻なくして「自由」は無い。それが事実です。
その事実が、今の私を作っています。
そして、お互いが、それでいいと思って日々暮らしています。
(少なくとも私は)
私の勝手な想像ですが、とんでもないことをイキナリ始める私を隣で眺めている妻は、内心、驚きと興味を持っているのでしょう。
そしてその後にやって来る、普通では味わえない怒涛の変化の渦中に、自分も巻き込まれる快感。(あるいは混乱)
そんなものがあるのではと思います。
今は、稼ぐのは妻の役目、家事は私の役目。
参照:シュフ主夫ばんざい
どれだけ彼女にアウトプットが出来るかが私の「仕事」です。
仕事からの帰路が楽しくなるか、
週末をワクワクして待てるか、
次は一緒にどこへ旅しようか、
・・・
人生のお楽しみを一緒に作る。
私の問われるところです。
時には「やることの削除」を妻へのアウトプット(お願い)にすることがあります。
やり過ぎてはだめ、私と同じ轍(シュフ主夫ばんざい参照)を踏んではダメ、そんなアドバイスも必要です。
それによって彼女の仕事の質が上がれば、それでハッピー。
わが家の玄関には、こういうのが貼ってあります。
かつて米国企業で仕事にのめりこんで、家族を失いかけた経験は、反面教師として私の人格に刻み付けられました。週末も仕事が頭から離れず、勉強に費やすこともしばしば。幼い息子は彼女任せ、いま風に言えばワンオペ。家事は殆んど彼女任せ。思えば、ひどい夫でした。
40歳を迎え、誤りに気付いた私は、次の職場も決めずに会社を辞めました。半年は何もせず、そしてベルギー企業に籍を得ました。そして、2度と残業しないと決めました。
仕事は二の次、家族が第一。
それは妻に誠意を示すためでした。
私の変化を、にわかに信じてはくれなかった妻でしたが、その後、数年を経て、償いは終わりました。
許してくれた妻に対しては、今度は、私の番です。
どれだけ彼女がハッピーにできるか、いかに家に帰るのが楽しくなるか、いつも考えています。
私のミッションの最上段には、いつもこう書いています。
Make my wife happy. 妻を幸せにすること。
私にとって、これが何よりも優先されます。
幸せとは何かと度々問われます。
私の中の定義では、
「好きな時に」「好きなことを」「好きなだけ」やれること。
そして、
自分が幸せになるには、誰かを幸せにすること。
これが真理です。
今日、改めて、思います。
ではでは@三河屋幾朗
追伸:これはある意味、妻への遺言です。
あした死んでも悔いは無いか:58歳の誕生日に寄せて
日・米・欧と企業を渡り歩き、好きなことだけやって、好きなように生きて、
50歳で社会人は辞めて、人よりも随分早くリタイアして第二の人生をスタートして。
人はそれを自由と呼びます。
その環境を与えてくれたパートナーが居るからできることです。
妻はフルタイムの保育士で、家計を二分してきました。
彼女がいるからとんでもない冒険の数々を、仕事でも、プライベートでも楽しむことが出来ました。
それを改めて気付かせてくれたのはLINEの前社長、森川亮氏の「シンプルに考える」でした。
森川氏は著書で述べています。
「お金」や「名誉」、これは人間にとって非常に魅力的なものです。
「お金」や「名誉」を手に入れると、それを守ろうとしてしまう。
その結果、新しいチャレンジが出来なくなり、自分の成長を止めてしまう。
妻なくして自由はないワタシ
ここで言う「守りの意識」が全くなかったのが私。
家計のバックアップがある安心、自分が路頭に迷っても、家族は路頭に迷わない、そんなセルフセーフティネットが私には有り、それがチャレンジへの支えになっていたことは紛れもない事実です。
妻なくして「自由」は無い。それが事実です。
その事実が、今の私を作っています。
そして、お互いが、それでいいと思って日々暮らしています。
(少なくとも私は)
私の勝手な想像ですが、とんでもないことをイキナリ始める私を隣で眺めている妻は、内心、驚きと興味を持っているのでしょう。
そしてその後にやって来る、普通では味わえない怒涛の変化の渦中に、自分も巻き込まれる快感。(あるいは混乱)
そんなものがあるのではと思います。
今は、稼ぐのは妻の役目、家事は私の役目。
参照:シュフ主夫ばんざい
どれだけ彼女にアウトプットが出来るかが私の「仕事」です。
仕事からの帰路が楽しくなるか、
週末をワクワクして待てるか、
次は一緒にどこへ旅しようか、
・・・
人生のお楽しみを一緒に作る。
私の問われるところです。
やらないこと、を勧める
時には「やることの削除」を妻へのアウトプット(お願い)にすることがあります。
やり過ぎてはだめ、私と同じ轍(シュフ主夫ばんざい参照)を踏んではダメ、そんなアドバイスも必要です。
それによって彼女の仕事の質が上がれば、それでハッピー。
わが家の玄関には、こういうのが貼ってあります。
毎朝、指差し確認します
家族を失いかけた40歳の頃
かつて米国企業で仕事にのめりこんで、家族を失いかけた経験は、反面教師として私の人格に刻み付けられました。週末も仕事が頭から離れず、勉強に費やすこともしばしば。幼い息子は彼女任せ、いま風に言えばワンオペ。家事は殆んど彼女任せ。思えば、ひどい夫でした。
40歳を迎え、誤りに気付いた私は、次の職場も決めずに会社を辞めました。半年は何もせず、そしてベルギー企業に籍を得ました。そして、2度と残業しないと決めました。
仕事は二の次、家族が第一。
それは妻に誠意を示すためでした。
私の変化を、にわかに信じてはくれなかった妻でしたが、その後、数年を経て、償いは終わりました。
許してくれた妻に対しては、今度は、私の番です。
どれだけ彼女がハッピーにできるか、いかに家に帰るのが楽しくなるか、いつも考えています。
私のミッションの最上段には、いつもこう書いています。
Make my wife happy. 妻を幸せにすること。
私にとって、これが何よりも優先されます。
幸せとは何かと度々問われます。
私の中の定義では、
「好きな時に」「好きなことを」「好きなだけ」やれること。
そして、
自分が幸せになるには、誰かを幸せにすること。
これが真理です。
今日、改めて、思います。
ではでは@三河屋幾朗
追伸:これはある意味、妻への遺言です。
あした死んでも悔いは無いか:58歳の誕生日に寄せて
私は死ぬほど働いたことがなく、家族を失いかけた経験もありませんが。しかし、失う時に気づく大切さはすごく理解できます。一番大切なのは家族ですよね。
返信削除KOPANさん、コメントありがとうございます。
返信削除家族があるから、妻がいるからいま私は生きている。そう思います。
KOPANさんは、仕事の出掛けに玄関で奥様とキスしてハグしますか?
私は2001年からずっと続けています。息子も小さい時からそれを見て育ったので、何の不思議も感じませんが、大きくなってウチの親は随分と他とは違うなあと思ったと思います。その息子も今年28歳になります。
こちらも是非お読みください。
当時よりもより心情が表現できていると思います。
「あした死んでも悔いは無いか:58歳の誕生日に寄せて」
https://mikawaya1960.blogspot.com/2018/08/blog-post_21.html
また、こちらも参考になると思います。
「シュフ主夫バンザイ」
https://mikawaya1960.blogspot.com/2013/12/house-husband.html
毎日たくさんのキスやハグします。それが習慣になっています♪日本の常識は世界の非常識、日本では違うなと思っても、世界は普通なんですよね。
返信削除三川屋さん
返信削除はじめまして。
少しずつブログを読ませて頂いています。
一つ一つの記事が心に響きます。
まもなく42歳になります。
同じものを玄関に貼ることにしました。
近々メンティとしての申し込みもさせて頂きたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。