58年前の8月25日、私はこの星に生まれました。
ブログのタイトルは、その1960年生まれからきています。
その誕生日の朝、土曜出勤の妻にフレンチトーストを作り、玄関でキスしてぎゅーっとハグして送り出しました。いつもの朝と、それは変わりません。
本を読み、洗濯物を畳み、ゴミを出し、買い物に行って夕食の準備をします。
夕食のメニューは亡くなった母が私の誕生日になると作ってくれたササミのフライです。幸運にもササミはスーパーの特売品になっていました。下ごしらえをして寝かせ、サラダも作って冷蔵庫へ。
妻が帰ってきたらフライを揚げ始め、風呂から上がって来た妻が食卓で箸を並べてくれます。
誕生日もいつもと変わらぬ日常。それを愛おしく感じるのは、それだけ歳を食った証なのでしょう。
いつもの夕食と唯一の違いは、妻が買ってきてくれたケーキが冷蔵庫に冷えていること。でも、久しぶりに動きたくない程食べたお腹には入りそうもありません。沢山は食べないこの夫婦は、そんなときは「朝ケーキ」です。
私が朝、出掛ける妻を抱きしめてキスをしてから送り出すのには、息子が一緒に住んでいた頃から変わりません。
息子はそんな両親の朝の「儀式」を見ながら育ちました。日本の家庭では極めて少数派でしょう。
私がそうするのには理由があります。
だれもが死の瞬間を将来迎えます。様々な書物やコンテンツを読み漁ると思い残すこと、つまり人が死ぬ時に後悔するのは、やって失敗した後悔ではなくて、やらなかったことの後悔だと言います。
だから、やらずに後悔するなら、やって後悔する方を私は選ぶことにしました。
固定観念に縛られず、面白いと思ったことはやってみる。言葉にすると簡単ですが、同調圧力が強い日本においては相当の勇気と覚悟が必要です。周囲がやらない様なことをやれば「おかしな人」「変人」「KY」で片付けられて隅に追いやられます。日本に帰ってくると、言いようのない閉塞感と重力を感じます
しかし、私が知る日本の外の世界にはそれが無い。他人のことなどお構いなしです。
ドメドメの日本企業でパソコンの開発に明け暮れた35歳から、一転して米国企業で三次元CADシステムを売るアプリケーションエンジニアへ。そして40歳でベルギー企業にモノづくりに戻った経験から、日本では通用しない「外の理論」あるいは「世界基準の考え方」というものが思想中枢にビルトインされまれました。ここが一般的日本人と違うところです。
外に向いた眼は留まるところを知らず、旅とホスト(外国人を自宅に招き入れること)で地球に散らばるゲストと毎日交信します。
日本の外の世界では自分と他人は違うのがが当たり前で、お互いを尊重すべきだし、意見は出し合って相違点を確認し合意点を見つけるという合意形成方式の「見えない大前提」があります。
最初に落としどころを用意しておいて、同調しない人は仲間外れという日本とは合意形成のアプローチが正反対です。35歳で外国企業に転職して以来、もう日本的なメンタリティーは理解できても戻れません。
今日という日は、今日しかない。淡々と過ぎていく時間のなかで、ひとりのわたしが時間を過ごしている。人間の世界は不平等なのに、唯一、時間だけは平等に与えられています。それをどう使うかはその人の選択次第、気持ち次第です。
人生の最高にして最大の資源は時間です。人生は時間を資源にして、魂が体を乗り物として使う時空の旅だと私は思います。
その旅には海図はありません。自分で海図を作り、時に襲ってくる嵐をこなし、過ぎ去ったあとの青い空を眩しく見上げ、隣にいるパートナーと共有時間を愛でます。
ベルギーに勤務していた40代に、彫刻家である現地の友人がよく私に言いました。
「なぜそんなに忙しく働くんだ。もっと人生を楽しめよ。自分の人生は自分のものだよ」
その時はその意味がよく分かりませんでした。人生を楽しむとはどういうことなのか。
だいたい、人生を楽しむという感覚が日本人にはありません。人生は苦役、重荷を背負って坂道を行くようなもの、そいうイメージが刷り込まれています。
日本とベルギーを行き来するうちに、彼らの生き方、物事の考え方、人生の捉え方を徐々に理解して行きました。どちらが人間らしい生き方なのか。人生を楽しむとはどういうことなのか。
現地の生活にどっぷり漬かり、ヨーロッパの生活が自分のものとなった時に、それがすとんと腑に落ちてきました。凝り固まった日本の固定観念が砕けた瞬間です。
人生の楽しみを自分のモノとしてコントロールできれば、あとは悔いるような事を削っていけば、もっと人生を楽しむことが出来る。そう考えました。ならば一番後悔するのは何かを考え続けました。そして出てきた答えが朝の「儀式」です。
ブログのタイトルは、その1960年生まれからきています。
その誕生日の朝、土曜出勤の妻にフレンチトーストを作り、玄関でキスしてぎゅーっとハグして送り出しました。いつもの朝と、それは変わりません。
本を読み、洗濯物を畳み、ゴミを出し、買い物に行って夕食の準備をします。
夕食のメニューは亡くなった母が私の誕生日になると作ってくれたササミのフライです。幸運にもササミはスーパーの特売品になっていました。下ごしらえをして寝かせ、サラダも作って冷蔵庫へ。
妻が帰ってきたらフライを揚げ始め、風呂から上がって来た妻が食卓で箸を並べてくれます。
誕生日もいつもと変わらぬ日常。それを愛おしく感じるのは、それだけ歳を食った証なのでしょう。
いつもの夕食と唯一の違いは、妻が買ってきてくれたケーキが冷蔵庫に冷えていること。でも、久しぶりに動きたくない程食べたお腹には入りそうもありません。沢山は食べないこの夫婦は、そんなときは「朝ケーキ」です。
私が朝、出掛ける妻を抱きしめてキスをしてから送り出すのには、息子が一緒に住んでいた頃から変わりません。
息子はそんな両親の朝の「儀式」を見ながら育ちました。日本の家庭では極めて少数派でしょう。
私がそうするのには理由があります。
人生、それは時間を資源にした時空の旅
だれもが死の瞬間を将来迎えます。様々な書物やコンテンツを読み漁ると思い残すこと、つまり人が死ぬ時に後悔するのは、やって失敗した後悔ではなくて、やらなかったことの後悔だと言います。
だから、やらずに後悔するなら、やって後悔する方を私は選ぶことにしました。
固定観念に縛られず、面白いと思ったことはやってみる。言葉にすると簡単ですが、同調圧力が強い日本においては相当の勇気と覚悟が必要です。周囲がやらない様なことをやれば「おかしな人」「変人」「KY」で片付けられて隅に追いやられます。日本に帰ってくると、言いようのない閉塞感と重力を感じます
しかし、私が知る日本の外の世界にはそれが無い。他人のことなどお構いなしです。
ドメドメの日本企業でパソコンの開発に明け暮れた35歳から、一転して米国企業で三次元CADシステムを売るアプリケーションエンジニアへ。そして40歳でベルギー企業にモノづくりに戻った経験から、日本では通用しない「外の理論」あるいは「世界基準の考え方」というものが思想中枢にビルトインされまれました。ここが一般的日本人と違うところです。
外に向いた眼は留まるところを知らず、旅とホスト(外国人を自宅に招き入れること)で地球に散らばるゲストと毎日交信します。
ベルギー名物 フラワーカーペット(グランプラスにて)
日本の外の世界では自分と他人は違うのがが当たり前で、お互いを尊重すべきだし、意見は出し合って相違点を確認し合意点を見つけるという合意形成方式の「見えない大前提」があります。
最初に落としどころを用意しておいて、同調しない人は仲間外れという日本とは合意形成のアプローチが正反対です。35歳で外国企業に転職して以来、もう日本的なメンタリティーは理解できても戻れません。
今日という日は、今日しかない。淡々と過ぎていく時間のなかで、ひとりのわたしが時間を過ごしている。人間の世界は不平等なのに、唯一、時間だけは平等に与えられています。それをどう使うかはその人の選択次第、気持ち次第です。
人生の最高にして最大の資源は時間です。人生は時間を資源にして、魂が体を乗り物として使う時空の旅だと私は思います。
その旅には海図はありません。自分で海図を作り、時に襲ってくる嵐をこなし、過ぎ去ったあとの青い空を眩しく見上げ、隣にいるパートナーと共有時間を愛でます。
あした死んでも悔いはない、という感覚
ベルギーに勤務していた40代に、彫刻家である現地の友人がよく私に言いました。
「なぜそんなに忙しく働くんだ。もっと人生を楽しめよ。自分の人生は自分のものだよ」
その時はその意味がよく分かりませんでした。人生を楽しむとはどういうことなのか。
だいたい、人生を楽しむという感覚が日本人にはありません。人生は苦役、重荷を背負って坂道を行くようなもの、そいうイメージが刷り込まれています。
日本とベルギーを行き来するうちに、彼らの生き方、物事の考え方、人生の捉え方を徐々に理解して行きました。どちらが人間らしい生き方なのか。人生を楽しむとはどういうことなのか。
現地の生活にどっぷり漬かり、ヨーロッパの生活が自分のものとなった時に、それがすとんと腑に落ちてきました。凝り固まった日本の固定観念が砕けた瞬間です。
(友人の作品 街のモニュメントです)
突然、死はやって来るかもしれない。だから・・・
人生の楽しみを自分のモノとしてコントロールできれば、あとは悔いるような事を削っていけば、もっと人生を楽しむことが出来る。そう考えました。ならば一番後悔するのは何かを考え続けました。そして出てきた答えが朝の「儀式」です。
今日という日は二度とやってこない。突然何かが起こって命を落とすかもしれない。交通事故もあり得る。地震が起こるかもしれない。旅先で不幸な目に合うかも知れない。
そんな最悪のことがあっても、妻を抱きしめた手の感覚があれば、死にゆく瞬間に別れを惜しむことは無い、そんな無言の「遺書にも似た覚悟」がそこにはあるのです。妻が息子の前でも、ゲストの前でも、恥ずかしがらずに「儀式」に応じてくれるのを嬉しく思っています。
あした死んでも悔いはない、そう思って日々を送るようになったのはいつからだろうか。
50歳で雇われて働くことをやめて「アウトサイダー」になる遥か前でした。ベルギーと行き来している最中だったことは確かなので、もう10年以上続いていることになります。
あした死んでも悔いはない、という覚悟が心の平安を生む
一度覚悟が出来てしまえば「あした死んでも悔いはない」は、自分にとっては当たり前のことになりました。
意識の隅には必ず見えているこの考えが、私の行動を後押ししているのは間違いありません。それと同時に、それがもたらす心の平安に気付きました。
死が怖くないという人は稀でしょう。
苦しんで死ぬのは嫌。そう思わせるのは痛みに対する恐怖だと思います。それが無いとしたら何が残るのか。この世から自分という存在が消滅することの恐れ、そして居なくなることの周囲の影響を心配することが死への恐れに繋がっていると思います。
「あした死んでも悔いはない」は、毎日をやり切った感で終えること。そうすれば、あとで振り返って他の選択肢を選んだとしたらという後悔の念に思い悩むことは無いし、他の選択肢を選んでいても未来は自分のもの、「今日眠りにつく自分に心配事は無いね」「明日目覚めるのが楽しみ!」という心の平安がやってきます。
なので、寝た瞬間の次は、起きた瞬間。夢も見ないでぐっすり眠るようになりました。余程の心理的ショックを受ける事件が起きない限り、夢を見ることも無くなりました。
この覚悟で死生観についてもある種の達観を得ることが出来ました。
詳しくは上記のページを読んでいただきたいのですが、「いま生きているこの命が何者なのか」ということが分かったことによる二重の心の平安です。
なんだかスピリチュアルで掴みどころにないように感じられるかもしれませんが、人間が心安く生きていくひとつの方法ではないかと私は思っています。
改めて、妻への感謝。
人間の死に方、寄り添い方。栗城史多さんの死に接して(加筆)
ではでは@三川屋幾朗
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