偶然は必然:続・人生の愉しみ方:死生観は「生きる」を見つけること

死生観。

この言葉が発するネガティブなイメージに違和感を覚えていました。


言葉の意味自体は「死を通した生の見方」(Wikipediaより)となるのですが、死が言葉の最初にきていることがネガティブに感じる理由だと感じます。なので、生まれてから死ぬのだから「生」を先に持ってくる「生死観」(しょうじょうかん)の方が、語感が良いと思います。

再び最初に断っておきますが、私は宗教学者でも、どこぞの教祖でも、はたまたスーパーサイヤ人でもありません。ただの自遊人です。

前回の投稿で、死生観について私の解釈を述べました。

そして、輪廻転生で死を超越するという考えを、太古の昔の人が既に理論として完結していたことに快感を伴う発見がありました。

 参考:人生の愉しみ方:死生観は「生きる」を見つけること


この死生観や輪廻転生を考えるきっかけは、実は思いがけない出会いからでした。


しつこいようですが、私は信心深くもありませんし、霊感もありません。

傍若無人な Aさんのお母さんの逸話


2016年に世界一周の旅に出る際に、お金のことは後回しで出発しました。その判断は偶然の産物を生みました。のちにそれは必然だったと気付きます。


ある日突然、リオ五輪聖火ランナーの切符をもらいました。これも偶然です。その当時、この惑星のあちらこちらに既に友人たちが点在していました。2020年以降と考えていた友人を訪ねる世界一周の旅。少し早いがこの機会を逃さずに行くべきだともう一人の私が背中を押しました。



帰ってきてから、費用の補填が始まりました。某大手流通会社の倉庫での非正規労働です。これを1年間やりました。おかげで次の旅の費用も捻出できたのですが、そこで一緒に働いた人(ここではAさんとしましょう)との日常の会話からからもたらされた言葉が、新たな気付きを得るキッカケになりました。


幾つもの派遣会社がその倉庫に人を送り込んでいました。セクションごとに派遣会社が割り振られていたこともあり、同じ派遣会社から送り込まれたAさんとは毎日顔を合わせる仲でした。一緒に行動するのでお昼も必然的に一緒です。

昼食を食べながら世間話に花が咲きます。時折Aさんは家族の事も話してくれるようになりました。その話が「とんでも話」だったのです。


Aさんのお母さんは家庭内では傍若無人で、亭主を顎で使う強面。子供の頃は近所の力士の子供も怖がる腕力自慢の硬派の女の子でした。

そんなお母さんがAさんに言ったのは、「あなたは急いで私のところにきちゃったのよ」でした。



お母さんは霊感が強くて、様々なことが見えてしまう能力を持っていて、子供であるAさんにこう語ったのでした。

「人は生まれてくるときに親を選べるのよ。でもあなたはその時に何だか急いでいて、選ぶ間もなくココでいいですとあの世で行き先を決めてしまったの。それであなたが私のお腹の中に来たのよ。」


マンダレー:ミャンマー



これを聞いた時には、にわかには信じられませんでした。


その後も、時々昼休みにお母さんが話題になると、このお母さんの人となり、その霊感の実証力、お母さんが語ることの信憑性が日々の生活の中に次々と現れてくる様子を問わず語りで聴くことになります。

Aさん自身は霊感が強いとかスピリチュアルなものには全く無頓着な人なので、あっけらかんと他人事のように話してくれるのです。普段からいたって真面目なAさんの話を度々聞いているうちに、これは空言じゃないなと気付きました。

お昼休みにAさんが語るお母さんの話は暴力的でかなり破天荒なのですが、それでもお父さんとの関係は悪くなく、一家としてつつがなく生活が続いていました。


昼休みに度々出てくるお母さんの話を、ひとつひとつ繋ぎ合わせてゆき、それを基に自分なりに調べていきました。

そして、それは輪廻転生だということが分かりました。またその考えが紀元前5世紀という大昔に既に完成されていた、ということに新鮮な驚きを覚えました。それをまとめたのがこれでした。

 参照:人生の愉しみ方:死生観は「生きる」を見つけること


Aさんのお母さんは仏教や宗教に傾倒するタイプとは真逆だそうで、じつに俗世間的な、言ってみれば典型的自己中心派な「下町のおかん」なのですが、ことその筋の話になると強烈な光が差すのだそうです。



次なる発見が降って来た:偶然は必然


このAさんとの出会いで死生観を考えるきっかけが生まれたわけですが、その次に新たな気付きがやってきました。それが「偶然は必然」です。

 参照:『15時17分、パリ行き』を観て、思った


「全てのものは繋がっていて、必然性がある」

この気付きの後に、さらなる出来事が発生します。


かねてからSNSで親交のあった人と、今年の4月に実際に会う機会ができました。アクティブで自分の信じる人生を真っすぐ生きる人柄に好感を持っていました。

その人が過去の職場で抱えた死を伴った事件のトラウマから抜け出せていないことを、知人から聞いていました。

その人と会った時に私は伝えました。

過去で起こったことは偶然のようで必然であり、いまここで私と会ってる貴方を導いている。そしてそのことも、実は何か言葉にできない繋がりであり、その結果の必然であることを伝えました。

私が「偶然は必然」と気付いたのも必然であり、この人に会ってその話をしたのも、偶然のようであって実は必然なのだと気付きました。


ここまで書いてきて、読んだ方には相当スピリチュアルなことで、何だか禅問答みたいで良く分からないと感じる方が多いのではないかと思います。もうすこしかみ砕いていきましょう。


アンコールワット


ご縁


簡単に説明すると、物事は起こるべくして起こり、それを仏教用語では因縁、または縁起と呼ぶことを知りました。

実家ではお盆にお寺の和尚さんに来てもらって、家の仏間で家族そろって念仏を唱和します。その和尚さんが仏壇の前で説法する時に、時々そんなこと言っていたなと思い出しました。なるほど、それで良いことが起きると「縁起が良い」と言うのだなと合点がゆきました。

全ての存在は因縁で始まり、因縁で滅する。全ては繋がっている。そのことに気付いたのですが、それが仏教の中に書かれていたことに驚きました。仏教は2500年の歴史があります。

なんという導きなのだろう。なんという必然なのだろうと思わないわけにはいきませんでいた。ここまでの時間軸はわずか半年足らずの時間です。


2009年にインドへ旅しました。ガンジス河で亡くなった人が河原で焼かれる姿を見て、そのあと仏教の聖地を訪れて、人の死というものを考えるきっかけを得ました。

もっと遡れば、2001年にアムステルダムのアンネフランクハウスで、隠れ家で命を繋ぎ、そしてナチスに捉えられ悲しい末路を辿るホロコースト。人間の業について考えさせられました。

東日本大震災の被災地ボランティアをやって、津波によって亡くなった方々の無常を知りました。

その後もカンボジアのポルポト政権による大虐殺キリングフィールドを訪れ、2016年にはアウシュビッツの夥しい死の現場を訪れて、命とは何か、人生とは何か、人間とは何か、その答えを追い求めてきました。

そういうった諸々の反芻からの答えが一気にやってきた半年間でした。

アウシュビッツ


全ては因縁であり、ご縁なんだなあ


こうやって振り返ると、全ては、ご縁なのだなと思います。

アンネフランクハウスに行ったのも、ベルギー赴任があったから。

インドを旅してガンジス河に立ったのもベルギーの会社が東京オフィスを閉めたから。

ガンジス河で焼かれる人を見るのも、人間の業に触れる旅も、何かの引き寄せなのでしょう。

 参照:語り部から聴く:10万余人が亡くなった東京大空襲

様々なご縁がこれまで私を導いてくれて、ここまでの気付きをもたらしてくれたのだと、現在から過去を俯瞰して気付きます。

ミャンマー


人生の愉しみ方が今回のテーマ。

これからどんなご縁がやってくるのか、楽しみです。



ではでは@三川屋幾朗



参考

あした死んでも悔いは無いか:58歳の誕生日に寄せて
ワクワクは自分で作る:続・58歳の誕生日に寄せて

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コメント

  1. 因縁とご縁に同感です。面白いお話有難うございました。

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    1. お読みいただき有難うございます。最近はnoteの方にコンテンツの重心を移しておりますので、そちらも宜しくお願い致します。
      https://note.com/mikawaya1960

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