58歳という年齢。20代から見れば、もうお爺さんと思う年齢かもしれません。
この年齢が実際どんな感覚なのか、20代、30代、40代の皆さんにお伝えしたいと思います。
また、同年代の方には、ご自身と比較して頂きたい。
そして、私よりも上の年代の方には、ご自身のご経験やこれから来る変化などのアドバイスを頂戴したいと思います。
私にとっても良い機会なので、定点観測として記録に残しておきたいと思います。
他人と違う生き方を楽しむと決めた50歳から、はや8年経ちました。
働くのを止めてシングルインカムになり、
自転車で日本縦断し、
アジアの国々を旅し、
リオオリンピックの聖火ランナーになり、
世界一周を果たし、
「働かない人生」に反して非正規労働で費用捻出したのが昨年。
そして今年。2018年は4月から相当弾けてます。
海外にも行かないのに、5か月間で移動距離は1万5千キロにものぼりました。
今年の4月に、非正規労働の「年季奉公」は明けて、一気に外への行動が始まりました。
日本の最西端を極める旅に出たかと思えば、最北端への旅にすぐさま出掛ける。
帰って早々に秋田を旅する。
その間にも父が亡くなったことによる相続で、実家の愛知県との往復を、このお金の掛からない旅の道具で繰り返す。
(余談ですが、時間を自由に使える自遊人は、時間を使うことでお金を使わなくする知恵を知っています。高速道路を使わず一般道を、高燃費のオートバイで半日かけての移動です。東京と実家の岡崎との往復700キロは2千円でお釣りがきます)
1年間、押し込められたものが爆発するかのように、心が外へ外へと動いてしまいます。
この8年間で体が変化し、老いがやってきました。
まず無敵に感じていた体力が落ちました。40代は疲れるという感覚が無かったのですが、50代になって運動強度も持久力も年々落ちてきました。もうかつての自分の記録に追いつくことはありません。最近目に付く「老人こそ筋トレ」。これに倣ってマラソン再開しました。シューズさえあれば旅先でもできる運動として、手軽で最高。ストレス発散にも効果抜群です。
体調についても、若い頃から周囲の人が「今日は調子が悪い」というのを聞いても理解できませんでした。調子の良し悪しを感じたことが無かったからです。風邪をひくことも滅多にないので、好不調というのを実感できませんでした。それが50代になってから、ああこういうことなのか、と分かるようになりました。
奥歯を全て失いました。父方の家系が歯槽膿漏なので覚悟はしていましたが、還暦を前にして早くも消えてしまうのかと、がっかりです。入れ歯は味覚を変えます。美味しくなくなります。咀嚼が難しくなります。つい最近も自分で作ったきんぴらごぼうを噛むのが厳しい。食べるのが遅いのが、更に遅くなります。そして、食べるだけでなく、滑舌にも大きく影響して話すのに少なからず支障をきたすようになりました。
聴力。20代で突発性難聴になって以来、右耳の聴力が健常者の半分くらいしかありませんし耳鳴りもひどい。常に空港のジェットエンジン試験場にいるような状態が、起きている間ずっとそれが続きます。それに加えて、奥歯が抜けたことが聴力にも影響を及ぼして、左の聴力も落ちてきました。台風が来るような大きな気圧の変化があると、途端に聞こえが悪くなります。テレビの音声もボリュームを上げないと聞こえなくなりました。妻にはうるさいだろうなあとおもいつつも、聞こえなければ楽しめません。
視力。近視の私は50歳前後から遠近両用メガネにかえて以来、徐々にその見え方が悪化の一途に進んでいます。既に数回取り換えてきました。それでも妻よりはマシ。視力の良かった彼女はメガネがないとスマホの細かい文字も読めません。いつも眼鏡をかけている近視者より余程面倒に感じるでしょう。目のセンサーも感度が落ちているようで、暗くなると見えません。乗り物の運転には慎重になります。それでもいまのところ思ったほど不便は感じていません。
そして記憶力。いまやっていたこと、数秒前にやろうとしていたことを忘れます。数字も名前も覚えられません。電話番号や長いスペルなどは諦めてコピペか写メです。最近は思い出そうと必死になるのを止めました。本当に、本当に必要ならもう、そのうち思い出すだろうと達観したからです。その予想は今のところ当たっています。
58歳のカラダはこんな感じです。年齢を重ねると言うことは、こういうことなのですね。
未来に向かって今が一番若い瞬間で、1秒ごとに出来ない事は増えていくことを実感します。
鏡に映る自分の姿は日々老人まっしぐらです。顔にはシワが増え、シミが出来、頭は白髪の方が多くなり、そして薄くなる。不可逆変化なので、自分ではどうしようもありません。
ところが、面白いことに頭の中は若い時のままなのです。このギャップが私には面白い。
若い頃は、年を重ねた私くらいの年齢なったら、もう若い頃の記憶は衰退して高年齢の記憶や気持ちが頭の中を支配するのだろうと思っていました。
ところがです。そんなことは全くありません。若い時からの記憶の上にどんどん記憶が上乗せされていくのです。まるで年輪のように。若干奥の年輪の奥にある記憶へのアクセスに支障が出ますが、若い時に思った感覚はそのまま保存されています。
嗜好や志向も変わりません。下世話な例では、若い女性を見ても「あのコが、イイ!」という男の本性も変わりません。高齢者福祉施設で男性老人がセクハラするという気持ちが分かります(失礼)。
肉体は魂の乗り物。それを理解できる日々がやって来た気がします。
若い頃は体と心は一体でしたが、この年齢になると心が体を俯瞰してみることが出来ます。体のコンディションを頭が理解して、体をいたわって使うと言えば分かり易いでしょうか。
少々ガタがきたクルマをエンジンぶん回すことなく運転を楽しむ感覚です。
様々な衰えを感じますが、でも悲観することはないと気付きました。
50歳代は日々判断を求められる経営者には最適な年代と言われます。経験と知識が備わっているうえに、事態を俯瞰して眺める余裕を持てる年齢なのだそうです。
そう言われれば、今迄の様々な経験や知識が、日々の折々の出来事に使える瞬間に出会います。社会の仕組み、政治経済、世界、そして人脈。人間としての「総合力」が結実し始めるのが50歳からということを、後から振り返って実感します。
例えばいきなり意見を求められたり、とっさの判断が必要になったり、そんな時も慌てることがなくなりました。素早く頭の中の引き出しを開けて、選んで、はいどうぞです。
極端な例では、私が好むバックパッカー旅で、海外の旅先で窮地に陥ることが度々あります。飛行機に乗り遅れたとか、泊まる先の住所が見つからないとか、強盗に襲われるとか、「どうしよう!」が次々と起こります。
それでも「どうにかなる」という根拠なき自信、それと達観がパニックになることを防いでくれます。
そうやってこの8年間を振り返ると、1年ずつ「人間としての総合力」が高まったことを実感します。恐らく社会人を続けていたとしても、仕事の中でそれは実感できただろうと思います。問題解決のスキルは40代とは比較になりません。
ひとつひとつの物事を吟味する、深く味わうこともできます。知識が増えている分、物事の背景が分かっているので、全体像をつかんで愉しむことができます。
例えば本を読んだり、絵画を観たり、テレビや映画もそのひとつひとつが厚みを持って鑑賞できるようになった気がします。
体が衰える分、精神性が上がるという感じでしょうか。人間の体はよくできているなあと感心します。
楽しい一日を過ごす。その繰り返しが楽しい人生だと思います。
今日という日は今日しかないし、明日は自分で作ることが出来る。
過去は作ることは出来ませんが、未来は自分次第です。それを人に委ねるのか、自分でコントロールするのか、ポイントはそこに有ると私は思います。
多くの日本人は人に委ねることが多いと思います。
例えば、あさ通勤ラッシュは嫌だなあと思う。普通の人は我慢するか、苦痛を逸らすために音楽を聴いたり本を読んだりスマホを眺めたりするでしょう。
私なら、早起きして生活時間をシフトします。自分でコントロールする方を選びます。
参考:3時ラーなるもの
ちょっと矛盾しているかも知れませんが、「ワクワクを自分で作る」が「あした死んでも悔いはない」に繋がります。よくある表現なら「前向きに生きる」でしょうが、う~ん、ちょっと私の中では違う感覚です。
今日をどう楽しんでやろうか。明日を、来週を、来月を、来年を、どう楽しもうか。
私は予定の全てをグーグルカレンダーで管理していますが、それを開くのが楽しみ。そしてそこに新しい予定を加えていくのに快感を覚えます。自分の人生をコントロールしていることが実感できるからです。
「ワクワクを自分で作る」というよりも「ワクワクを仕掛ける」という方がピッタリくる気がします。
そうやって人生を愉しむ、自分という人間を愉しむ、そんなカンジ、それがイマの私です。
これはもう完全に予想外でした。
30代で英語で話しているいる50代は想像できなかった。
40代で仕事しないで自遊人でいる自分など考えられなかった。
増してや、50歳の時ですら、6年後に世界一周を終えているなんて想像もできなかった。
いまある環境や状況など、全くの想定外です。
こんなふうに人生が動いていくなんて思ってもみませんでした。
心のどこかに今の状況を望んていたか?それも無かった。
つまり、明日は分からないということですね。
分からない明日を思い悩んでも仕方ない。
今日と明日を、とりあえずコントロールできる(と思い込んでいる)範囲の近未来を愉しむに限る。そう思います。
こんな具合に予想外の事がどんどん起きます。
自分でコントロール出来ない事も発生します。いいことばかりじゃありません。今年の5月にユーラシア大陸横断の旅に出る予定だった私は、3月に父を亡くしたことで計画を1年先延ばしにしました。
それ自体は残念な事だったのですが、1年の余裕が生まれたことで、新たな発想でプランニングを再考し始めたら、様々な人やモノとの繋がりが発生し始めました。スポンサー獲得というアイディアもそのひとつです。そんな発想は4月以前には有りませんでした。既に大阪の1社様からスポンサードを頂いたので、もっと広げようと思います。
「年季奉公」が明けた4月から急激に様々なことが繋がり始めました。人や経験、やりたいこと、それらがまるで予めプログラムされていたかのように動く先々で繋がるのです。これは予想外、想定外の何物でもありませんでした。
例えばスポンサー獲得にはプレゼンテーションが必要です。これには30代後半で米国企業で得たスキルが活躍しました。プレゼン資料を作るのはお手の物だし、ホワイトボードを背にすれば怖いものがありません。
旅をすれば、それこそ毎日が想定外です。
他の方とは相当違う旅の仕方をしているので、ある意味、修行ともいえる旅のスタイルで日々を過ごすのですが、出くわす困難は想定外として楽しみます。7月の北海道旅がそうでした。夏装備なのに10度以下の強風の中をオートバイで旅するのは、修行以外の何物でもありませんでしたが、俯瞰してその厳しい状況を楽しむ心の余裕が今はあるのです。
何かあってもそれをポジティブに捉えて愉しむ。与えられた時間は限られていますし、残り時間はどんどん減っていく。楽しんだ者勝ちという気持ちがどんどん強くなっています。
ネガティブをいかにポジティブに捉えるか。もうこれは自己チューと言って良いと思います。自分の都合の良いように解釈する癖をつける。すり替えると言っても良いかもしれません。これを意識してやっています。
夏の気温10度以下でオートバイで旅すれば手もかじかんで震えが止まりませんが、こんな経験滅多に出来ないと思えば、気持ちがすり替えられます。帰った後にはネタにもなります。聞く方だって想定外の話の方が面白いのです。
老いで出来ていたことが出来なくなる。それを悲観しても仕方がない。パラリンピックの創始者が言います。無いものを憂うより有るもので楽しめ。老化はパラリンピックのようなものだと思います。残された機能を使っていかにその時々を楽しむか。物事の捉え方次第だと思うのです。
さて、未来は想定外、想定外と上で述べたのですが、そうは言っても、人は先が見通せれば不安を感じずに過ごせるものです。今後やって来るのは身体的な衰えと共に、頭の中の衰えです。忘れ物が多くなれば、それはもう認知症の始まりです。
3月に亡くなった父も、晩年はどうにも理解できない行動をすることがありました。父よりも1年先に旅立った人生で最も尊敬する叔父も、晩年は出来ない事が増えてゆき、あれほど聡明だった叔父がと驚く罵詈雑言を吐いて叔母を困らせました。人間の晩年を勉強するとてもよい機会になりました。
自分がこの先どうなっていくんだろうという予行演習のようなものを身内から学ぶことで、心の準備ができて先を少し見通すことができました。
参考:『老人の取扱説明書』を読む
先日、認知症についての興味深い記事を読みました。
認知症の第一人者、長谷川和夫氏(89)が歳を重ねて自分が認知症になったことで、今の状態を分かり易く解説している文章です。
認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」
それによると、
長谷川氏の今の心境は、
ご自身がデイケアに通うようになってからの話が出てきます。
「デイケアに通うようになって、まず驚いたのは、スタッフ一人ひとりが、利用者の情報をよく知っていることです。スタッフがそれぞれ何人かの利用者を受け持っている、というのではなく、スタッフ全員がみんなのことを把握している。こちらは馴染みのないスタッフでも、向こうは私のことをよく知っている。利用者としては、大きな安心感があります。
それに、こちらが少しでもボーッとしていると、「長谷川さん、どうしたの? 何か困ったことでもある?」「ちょっとこっちへ来て、こんな体操をやってみない?」と、すぐさま声がかかります。すれ違ったときにも「長谷川さん、お昼ご飯は美味しかった?」とかね。
簡単なゲームをする時間もあって、それがまた面白いものばかり。雰囲気は非常にゆったりとしていて、人と人とのつながりが温かい。デイケアというのは、すごいものだなと、本当に感心しました。」
前に述べた私の最も尊敬する叔父は、亡くなる前の数年間を高齢者福祉施設で過ごしました。実際に高齢者ケアの現場を見る機会を得ましたが、訪問者として行く私にはネガティブなイメージが付きまとっていました。
滞在期間が長くなるほど、部屋の階数が上がるほど、それはあの世に近付いていることを意味します(健常度が高いほど部屋の階数は低い。重篤になれば最上階へ)。そんな叔父の周囲の人にとっては辛い現場を目の当たりにしたことによる、老いのネガティブイメージが心の傷として残ったのですが、長谷川氏の文章を読んで、大きく心が揺さぶられました。
「認知症の人も私と同じ」と長谷川氏は言います。
そして現代への処方箋を静かに語ります。
「高齢者の数が多くなったいまでは、どこの地域でも、必ず近所に認知症の方が何人かいらっしゃるはずです。少しずつでもいいから、認知症とはどのようなものか、みんなが学ぶ。
そして、「認知症の人の心は、私の心と同じ。あの人も私と同じように、楽しみたい、幸せになりたいと思っているんだ」という気持ちをもって、本人に接してみる。
こうして、認知症になっても安心して暮らせる社会をつくっていくことが、これからの日本に求められているのではないでしょうか。」
その先はこのリンクを辿って文章を読んでいただきたいと思います。
(文春オンラインなので、コンテンツが消される前にお早めに)
これでこの先の不安が払しょくされたわけではありませんが、老いとはどういうものか、命の終末期はどんな感じか、ということの理解が進んだように思います。
頼れるものは何でも、使えるものは何でも使う。
脳の衰えはICTをどんどん使って補って、時代の最先端を愉しみ尽くしたい。
ここ数年の社会と産業の変化は荒馬のようです。付いていけない者を振り落とします。
変化についていけない、変化を恐れる、変化に諦めてしまった、その瞬間に何かが終わると思います。
留まらず変化する。変化をどんどん受け入れて、それを使い倒す。
それが、これから愉しく生きる助けになると信じています。
ではでは@三川屋幾朗
ICT: Information and Communication Technology(情報通信技術)の略。いわゆるITだけじゃなくて、SNSのような情報サイト、スマホなどの情報ツールを活用すること
この年齢が実際どんな感覚なのか、20代、30代、40代の皆さんにお伝えしたいと思います。
また、同年代の方には、ご自身と比較して頂きたい。
そして、私よりも上の年代の方には、ご自身のご経験やこれから来る変化などのアドバイスを頂戴したいと思います。
私にとっても良い機会なので、定点観測として記録に残しておきたいと思います。
他人と違う生き方を楽しむと決めた50歳から、はや8年経ちました。
働くのを止めてシングルインカムになり、
自転車で日本縦断し、
アジアの国々を旅し、
リオオリンピックの聖火ランナーになり、
世界一周を果たし、
「働かない人生」に反して非正規労働で費用捻出したのが昨年。
そして今年。2018年は4月から相当弾けてます。
海外にも行かないのに、5か月間で移動距離は1万5千キロにものぼりました。
今年の4月に、非正規労働の「年季奉公」は明けて、一気に外への行動が始まりました。
日本の最西端を極める旅に出たかと思えば、最北端への旅にすぐさま出掛ける。
帰って早々に秋田を旅する。
その間にも父が亡くなったことによる相続で、実家の愛知県との往復を、このお金の掛からない旅の道具で繰り返す。
(余談ですが、時間を自由に使える自遊人は、時間を使うことでお金を使わなくする知恵を知っています。高速道路を使わず一般道を、高燃費のオートバイで半日かけての移動です。東京と実家の岡崎との往復700キロは2千円でお釣りがきます)
1年間、押し込められたものが爆発するかのように、心が外へ外へと動いてしまいます。
50代、老いがやって来た
この8年間で体が変化し、老いがやってきました。
まず無敵に感じていた体力が落ちました。40代は疲れるという感覚が無かったのですが、50代になって運動強度も持久力も年々落ちてきました。もうかつての自分の記録に追いつくことはありません。最近目に付く「老人こそ筋トレ」。これに倣ってマラソン再開しました。シューズさえあれば旅先でもできる運動として、手軽で最高。ストレス発散にも効果抜群です。
体調についても、若い頃から周囲の人が「今日は調子が悪い」というのを聞いても理解できませんでした。調子の良し悪しを感じたことが無かったからです。風邪をひくことも滅多にないので、好不調というのを実感できませんでした。それが50代になってから、ああこういうことなのか、と分かるようになりました。
奥歯を全て失いました。父方の家系が歯槽膿漏なので覚悟はしていましたが、還暦を前にして早くも消えてしまうのかと、がっかりです。入れ歯は味覚を変えます。美味しくなくなります。咀嚼が難しくなります。つい最近も自分で作ったきんぴらごぼうを噛むのが厳しい。食べるのが遅いのが、更に遅くなります。そして、食べるだけでなく、滑舌にも大きく影響して話すのに少なからず支障をきたすようになりました。
聴力。20代で突発性難聴になって以来、右耳の聴力が健常者の半分くらいしかありませんし耳鳴りもひどい。常に空港のジェットエンジン試験場にいるような状態が、起きている間ずっとそれが続きます。それに加えて、奥歯が抜けたことが聴力にも影響を及ぼして、左の聴力も落ちてきました。台風が来るような大きな気圧の変化があると、途端に聞こえが悪くなります。テレビの音声もボリュームを上げないと聞こえなくなりました。妻にはうるさいだろうなあとおもいつつも、聞こえなければ楽しめません。
視力。近視の私は50歳前後から遠近両用メガネにかえて以来、徐々にその見え方が悪化の一途に進んでいます。既に数回取り換えてきました。それでも妻よりはマシ。視力の良かった彼女はメガネがないとスマホの細かい文字も読めません。いつも眼鏡をかけている近視者より余程面倒に感じるでしょう。目のセンサーも感度が落ちているようで、暗くなると見えません。乗り物の運転には慎重になります。それでもいまのところ思ったほど不便は感じていません。
そして記憶力。いまやっていたこと、数秒前にやろうとしていたことを忘れます。数字も名前も覚えられません。電話番号や長いスペルなどは諦めてコピペか写メです。最近は思い出そうと必死になるのを止めました。本当に、本当に必要ならもう、そのうち思い出すだろうと達観したからです。その予想は今のところ当たっています。
58歳のカラダはこんな感じです。年齢を重ねると言うことは、こういうことなのですね。
未来に向かって今が一番若い瞬間で、1秒ごとに出来ない事は増えていくことを実感します。
システィーナ礼拝堂
頭の中は変わらない
鏡に映る自分の姿は日々老人まっしぐらです。顔にはシワが増え、シミが出来、頭は白髪の方が多くなり、そして薄くなる。不可逆変化なので、自分ではどうしようもありません。
ところが、面白いことに頭の中は若い時のままなのです。このギャップが私には面白い。
若い頃は、年を重ねた私くらいの年齢なったら、もう若い頃の記憶は衰退して高年齢の記憶や気持ちが頭の中を支配するのだろうと思っていました。
ところがです。そんなことは全くありません。若い時からの記憶の上にどんどん記憶が上乗せされていくのです。まるで年輪のように。若干奥の年輪の奥にある記憶へのアクセスに支障が出ますが、若い時に思った感覚はそのまま保存されています。
嗜好や志向も変わりません。下世話な例では、若い女性を見ても「あのコが、イイ!」という男の本性も変わりません。高齢者福祉施設で男性老人がセクハラするという気持ちが分かります(失礼)。
肉体は魂の乗り物。それを理解できる日々がやって来た気がします。
若い頃は体と心は一体でしたが、この年齢になると心が体を俯瞰してみることが出来ます。体のコンディションを頭が理解して、体をいたわって使うと言えば分かり易いでしょうか。
少々ガタがきたクルマをエンジンぶん回すことなく運転を楽しむ感覚です。
ナイタイ高原
出来ることも増える
様々な衰えを感じますが、でも悲観することはないと気付きました。
50歳代は日々判断を求められる経営者には最適な年代と言われます。経験と知識が備わっているうえに、事態を俯瞰して眺める余裕を持てる年齢なのだそうです。
そう言われれば、今迄の様々な経験や知識が、日々の折々の出来事に使える瞬間に出会います。社会の仕組み、政治経済、世界、そして人脈。人間としての「総合力」が結実し始めるのが50歳からということを、後から振り返って実感します。
例えばいきなり意見を求められたり、とっさの判断が必要になったり、そんな時も慌てることがなくなりました。素早く頭の中の引き出しを開けて、選んで、はいどうぞです。
極端な例では、私が好むバックパッカー旅で、海外の旅先で窮地に陥ることが度々あります。飛行機に乗り遅れたとか、泊まる先の住所が見つからないとか、強盗に襲われるとか、「どうしよう!」が次々と起こります。
それでも「どうにかなる」という根拠なき自信、それと達観がパニックになることを防いでくれます。
旧中川
人間としての総合力が高まる
そうやってこの8年間を振り返ると、1年ずつ「人間としての総合力」が高まったことを実感します。恐らく社会人を続けていたとしても、仕事の中でそれは実感できただろうと思います。問題解決のスキルは40代とは比較になりません。
ひとつひとつの物事を吟味する、深く味わうこともできます。知識が増えている分、物事の背景が分かっているので、全体像をつかんで愉しむことができます。
例えば本を読んだり、絵画を観たり、テレビや映画もそのひとつひとつが厚みを持って鑑賞できるようになった気がします。
体が衰える分、精神性が上がるという感じでしょうか。人間の体はよくできているなあと感心します。
西表島にて
ワクワクを自分で作る
楽しい一日を過ごす。その繰り返しが楽しい人生だと思います。
今日という日は今日しかないし、明日は自分で作ることが出来る。
過去は作ることは出来ませんが、未来は自分次第です。それを人に委ねるのか、自分でコントロールするのか、ポイントはそこに有ると私は思います。
多くの日本人は人に委ねることが多いと思います。
例えば、あさ通勤ラッシュは嫌だなあと思う。普通の人は我慢するか、苦痛を逸らすために音楽を聴いたり本を読んだりスマホを眺めたりするでしょう。
私なら、早起きして生活時間をシフトします。自分でコントロールする方を選びます。
参考:3時ラーなるもの
ちょっと矛盾しているかも知れませんが、「ワクワクを自分で作る」が「あした死んでも悔いはない」に繋がります。よくある表現なら「前向きに生きる」でしょうが、う~ん、ちょっと私の中では違う感覚です。
今日をどう楽しんでやろうか。明日を、来週を、来月を、来年を、どう楽しもうか。
私は予定の全てをグーグルカレンダーで管理していますが、それを開くのが楽しみ。そしてそこに新しい予定を加えていくのに快感を覚えます。自分の人生をコントロールしていることが実感できるからです。
「ワクワクを自分で作る」というよりも「ワクワクを仕掛ける」という方がピッタリくる気がします。
そうやって人生を愉しむ、自分という人間を愉しむ、そんなカンジ、それがイマの私です。
函館マラソン
いまある状態を30代、40代で予想できたか
これはもう完全に予想外でした。
30代で英語で話しているいる50代は想像できなかった。
40代で仕事しないで自遊人でいる自分など考えられなかった。
増してや、50歳の時ですら、6年後に世界一周を終えているなんて想像もできなかった。
いまある環境や状況など、全くの想定外です。
こんなふうに人生が動いていくなんて思ってもみませんでした。
心のどこかに今の状況を望んていたか?それも無かった。
つまり、明日は分からないということですね。
分からない明日を思い悩んでも仕方ない。
今日と明日を、とりあえずコントロールできる(と思い込んでいる)範囲の近未来を愉しむに限る。そう思います。
予想外、想定外を楽しむ
こんな具合に予想外の事がどんどん起きます。
自分でコントロール出来ない事も発生します。いいことばかりじゃありません。今年の5月にユーラシア大陸横断の旅に出る予定だった私は、3月に父を亡くしたことで計画を1年先延ばしにしました。
それ自体は残念な事だったのですが、1年の余裕が生まれたことで、新たな発想でプランニングを再考し始めたら、様々な人やモノとの繋がりが発生し始めました。スポンサー獲得というアイディアもそのひとつです。そんな発想は4月以前には有りませんでした。既に大阪の1社様からスポンサードを頂いたので、もっと広げようと思います。
「年季奉公」が明けた4月から急激に様々なことが繋がり始めました。人や経験、やりたいこと、それらがまるで予めプログラムされていたかのように動く先々で繋がるのです。これは予想外、想定外の何物でもありませんでした。
例えばスポンサー獲得にはプレゼンテーションが必要です。これには30代後半で米国企業で得たスキルが活躍しました。プレゼン資料を作るのはお手の物だし、ホワイトボードを背にすれば怖いものがありません。
旅をすれば、それこそ毎日が想定外です。
他の方とは相当違う旅の仕方をしているので、ある意味、修行ともいえる旅のスタイルで日々を過ごすのですが、出くわす困難は想定外として楽しみます。7月の北海道旅がそうでした。夏装備なのに10度以下の強風の中をオートバイで旅するのは、修行以外の何物でもありませんでしたが、俯瞰してその厳しい状況を楽しむ心の余裕が今はあるのです。
何かあってもそれをポジティブに捉えて愉しむ。与えられた時間は限られていますし、残り時間はどんどん減っていく。楽しんだ者勝ちという気持ちがどんどん強くなっています。
南の島で読書
老いと、その先を考える
58歳とはどんな感じか伝わったでしょうか。個人差がありますが私の場合はこんな感じです。ネガティブをいかにポジティブに捉えるか。もうこれは自己チューと言って良いと思います。自分の都合の良いように解釈する癖をつける。すり替えると言っても良いかもしれません。これを意識してやっています。
夏の気温10度以下でオートバイで旅すれば手もかじかんで震えが止まりませんが、こんな経験滅多に出来ないと思えば、気持ちがすり替えられます。帰った後にはネタにもなります。聞く方だって想定外の話の方が面白いのです。
老いで出来ていたことが出来なくなる。それを悲観しても仕方がない。パラリンピックの創始者が言います。無いものを憂うより有るもので楽しめ。老化はパラリンピックのようなものだと思います。残された機能を使っていかにその時々を楽しむか。物事の捉え方次第だと思うのです。
さて、未来は想定外、想定外と上で述べたのですが、そうは言っても、人は先が見通せれば不安を感じずに過ごせるものです。今後やって来るのは身体的な衰えと共に、頭の中の衰えです。忘れ物が多くなれば、それはもう認知症の始まりです。
3月に亡くなった父も、晩年はどうにも理解できない行動をすることがありました。父よりも1年先に旅立った人生で最も尊敬する叔父も、晩年は出来ない事が増えてゆき、あれほど聡明だった叔父がと驚く罵詈雑言を吐いて叔母を困らせました。人間の晩年を勉強するとてもよい機会になりました。
自分がこの先どうなっていくんだろうという予行演習のようなものを身内から学ぶことで、心の準備ができて先を少し見通すことができました。
参考:『老人の取扱説明書』を読む
あぶらや燈千(湯田中温泉)
先日、認知症についての興味深い記事を読みました。
認知症の第一人者、長谷川和夫氏(89)が歳を重ねて自分が認知症になったことで、今の状態を分かり易く解説している文章です。
認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」
それによると、
- 「確かさ」がはっきりしなくなった
- 正常な状態と認知症の状態とが行ったり来たりする
そしてその先起こるのは、
- 今がいつなのか明らかでなくなる
- 今どこにいるかがはっきりしなくなる
- 目の前にいる人が誰なのか分からなくなる
- 認知症は誰にでも起こる
長谷川氏の今の心境は、
- ありのままを受け入れる
- 自分で出来る範囲のことをやる
- 少しでも人の役に立つことが出来たら、それ以上嬉しいことは無い
ご自身がデイケアに通うようになってからの話が出てきます。
「デイケアに通うようになって、まず驚いたのは、スタッフ一人ひとりが、利用者の情報をよく知っていることです。スタッフがそれぞれ何人かの利用者を受け持っている、というのではなく、スタッフ全員がみんなのことを把握している。こちらは馴染みのないスタッフでも、向こうは私のことをよく知っている。利用者としては、大きな安心感があります。
それに、こちらが少しでもボーッとしていると、「長谷川さん、どうしたの? 何か困ったことでもある?」「ちょっとこっちへ来て、こんな体操をやってみない?」と、すぐさま声がかかります。すれ違ったときにも「長谷川さん、お昼ご飯は美味しかった?」とかね。
簡単なゲームをする時間もあって、それがまた面白いものばかり。雰囲気は非常にゆったりとしていて、人と人とのつながりが温かい。デイケアというのは、すごいものだなと、本当に感心しました。」
前に述べた私の最も尊敬する叔父は、亡くなる前の数年間を高齢者福祉施設で過ごしました。実際に高齢者ケアの現場を見る機会を得ましたが、訪問者として行く私にはネガティブなイメージが付きまとっていました。
滞在期間が長くなるほど、部屋の階数が上がるほど、それはあの世に近付いていることを意味します(健常度が高いほど部屋の階数は低い。重篤になれば最上階へ)。そんな叔父の周囲の人にとっては辛い現場を目の当たりにしたことによる、老いのネガティブイメージが心の傷として残ったのですが、長谷川氏の文章を読んで、大きく心が揺さぶられました。
「認知症の人も私と同じ」と長谷川氏は言います。
そして現代への処方箋を静かに語ります。
「高齢者の数が多くなったいまでは、どこの地域でも、必ず近所に認知症の方が何人かいらっしゃるはずです。少しずつでもいいから、認知症とはどのようなものか、みんなが学ぶ。
そして、「認知症の人の心は、私の心と同じ。あの人も私と同じように、楽しみたい、幸せになりたいと思っているんだ」という気持ちをもって、本人に接してみる。
こうして、認知症になっても安心して暮らせる社会をつくっていくことが、これからの日本に求められているのではないでしょうか。」
その先はこのリンクを辿って文章を読んでいただきたいと思います。
(文春オンラインなので、コンテンツが消される前にお早めに)
これでこの先の不安が払しょくされたわけではありませんが、老いとはどういうものか、命の終末期はどんな感じか、ということの理解が進んだように思います。
頼れるものは何でも、使えるものは何でも使う。
脳の衰えはICTをどんどん使って補って、時代の最先端を愉しみ尽くしたい。
ここ数年の社会と産業の変化は荒馬のようです。付いていけない者を振り落とします。
変化についていけない、変化を恐れる、変化に諦めてしまった、その瞬間に何かが終わると思います。
留まらず変化する。変化をどんどん受け入れて、それを使い倒す。
それが、これから愉しく生きる助けになると信じています。
ではでは@三川屋幾朗
ICT: Information and Communication Technology(情報通信技術)の略。いわゆるITだけじゃなくて、SNSのような情報サイト、スマホなどの情報ツールを活用すること
興味深くいつも読ませていただいてます。私は10年先を生きています。
返信削除書いてあることが (((uдu*)ゥンゥント頷きながら読んでます。
こんな風に上手には書けないけれど、思ってることを、書いてある~
この嬉しさです。
女性だから、老いを感じたのはごくごく最近です。
65過ぎて、テニス肘やら、50肩やら、でも嘆かずに 日々楽しみを見つけては
ワクワクしています。
病弱の夫を抱えていますので アクティブな活動は限りがありますが
家での楽しみや、地域での楽しみを、お金を使わす、やっています。
68でもまだまだ新しい趣味は発見できますよ。
これからも 三河屋さんのブログ 楽しみにしております。
匿名さま
返信削除10年先の大先輩からのコメント、ありがたく拝読いたしました。
病弱の旦那様を支えながらもワクワクの毎日をお過ごしのご様子、素晴らしい!
お金については私も常々考えています。最小限の出費で最大限の満足を得るために、どうしたら良いかを無い頭をひねっています。このあたりの幾つかが参考になるのではと思います。
https://mikawaya1960.blogspot.com/search?q=%E3%81%8A%E9%87%91
最近ですと、にわかにスマホで支払いがニュースを賑わしています。政府がキャッシュレス社会を後押しし始めたからですが、近い将来、銀行のATMで手数料を払ってお金を引き出すという無駄な出費は消滅すると思います。クレジットカードや電子マネーをお使いでなければ、直ぐにお始めになるのが良いと思います。また近々それにかんするコンテンツも書こうと思います。
明日は、先日投稿した「死生観」についての投稿をあっぷします。
お読みいただければ嬉しい限りです。